少し記事更新の時間が空いてしまいましたが、最近、けっこう衝撃的なことが身近に起こり、今日はそのことについてお届けしたいと思います。
正直言って、とてもつらい出来事で今もその甲冑にあります。
<スポンサーリンク>
人が何かをするとき、そこには必ずその出来事として事実が残ります。
事実ということばを調べると、客観的に誰が見ても1つであるということがかかれているのですが、その事実は、伝えた方によってはその内容を大きく変えてしまうことがあります。
例えば、Aさんはアルコールを飲んでいました。そしてBさんがAさんを侮辱し、Aさんは怒ってBさんを殴ってしまいました。
これが伝える人によって、「飲酒したAさんはBさんを殴ってけがを負わせた」という言い方と、「Bさんの侮辱によりAさんはBさんを負傷させる」という表現では、どちらに非があるのかが変わってくると思いませんか?
AさんがBさんを負傷させたことには変わりませんが、前半分の事実の表現の違いによって、大分内容の印象が違ってきます。
それは、例えばメディアの場合だと、その記事を書く人によって何が一般受けしそうなのかという視点で書くのかもしれません。どうしてもそこには書いた人の意図が入ってしまいます。
しかし、事実を組み替えて伝え方を変えることで、その当事者を侵害することがあるということが、今回被害者の立場になり、その重さを痛感させられました。
今回の件を通して、1情報発信者として、僕は事実を伝える際には、関係者を侵害することなく物事を表現することが大切だということを学びました。そして事実と併せて真実を語ることも重要であると思いました。真実を伝えるということは、事実だけでは見えないことが隠されているからです。そこに人の本当の姿があるのだと思います。
もしあなたが人に何かを言われて傷ついたとき、本当の事実は何なのか、そしてその事実の背景にあることは何なのかを知ることで、あなたの傷をいやすことができるかもしれません。
今日は、大分抽象的な表現の内容になってしまいましたが、僕の発信が誰かを傷つけるものではなく、お役に立てる内容であることを願っております。
最後に、僕たち人間は、お互いけなしたり侮辱したりするのではなく、助け合うことにより、より人間らしい営みができるのかもしれません。
(Photo by Jeremy Thomas on Unsplash)
<スポンサーリンク>
この記事へのコメントはありません。