こんばんわ、ツグです。
突然、すごい強烈なタイトルをつけてしまいました。
実は、今日職場の同僚の継父が突然の心臓発作で病院に運ばれたものの、
そのまま帰らぬことになってしまい亡くなってしまったのです。
悲しいお知らせでした。
ついつい自分の親のことをかんがえてしまいました。
僕も去年の6月に父親を亡くしました。
その時ほど、ニュージーランドと日本の距離がとても遠く感じたことはありませんでした。
スカイプやラインで電話をすれば、デジタル上でお互い顔をみて話ができるので、
ついつい距離感なんて時差を除けば感じませんが、
物理的に飛行機での移動となると、少なくとも半日以上は最低時間が必要になります。
この記事をご覧になっている方で、これから移住をしようと思っている方もいるかもしれませんが、
移住することによって、
親の最後の瞬間に側にいてあげることができない、親の死に目に会えないことだってある
ということを心構えとしてもつくらいの覚悟が移住に必要だと思ったので、
この記事を書くことにしました。
海外に住んでいなくて、日本国内であっても、
他府県に住んでいれば、こういうことってもちろんあるかもしれませんが、
やはり、ニュージーランドは飛行機の移動も半日かかりますし、緊急の帰国でお金もかかるので、
そう簡単に国内のように会いに行けるわけではありません。
僕が経験したことを話させてください。
去年の4月、ちょうど1年前に実家からラインの電話があり、
その時都合悪くて電話に出れなかったのですが、
着信が何度もあるので、不吉な感じがしてました。
ドキドキしながら折り返すと、
そこには体調を悪そうにしている父が映っていました。
「これ、なんかやばい、、、」
って直感的に思いました。
実際に、検査結果でガンとわかりましたが、
精密検査をしないと、どのような対処法になるかわからない状態で、
帰ろうかどうか、悩みました。
事前に計画を立てて安いチケットを見つけて帰るホリデーとは違って、
帰国するとなると、航空チケットも高いので、
そう簡単には決断できませんでした。
すぐにでも父に会いたい!っていう想いはありましたが、
医者と相談してもうしばらく様子をみようとのことで
あの電話から3週間ほど、こちらで毎日・毎時間・毎分と頭にあるのは父のこと。
もしも、日本にいれば、、、
っという気持ちも自然に湧いてきました。
そして医者から帰ってきた方がいい
っとお告げがきて、4月に3週間帰ることになりました。
帰ってくるな!っと頑固にも言っていた父を驚かすことに。
病床にあった父の身体と顔は大分細くなっていました。
悲しくてたまりませんでした。
しかし、ガンとわかっている本人が生きる意志をしっかり持っていたので、
その気持ちを頼りに、入院している父を目一杯サポートしようと、看病が始まりました。
そして、日に日に元気になっていく父親。
職場も突然の帰省で困っておりましたが、
僕の上司も国際結婚で理解のある方で、
レストランで1年でもクリスマスと同じくらい忙しい母の日の前には帰ってくるという約束だったので、
3週間しかいれませんでしたが、
ニュージーランドに帰る頃には、食事も以前のようにとれ、
「これ治るぞ!」っと僕の中で100%の自信がありました。
空港での別れは、つらいものがありました。
正直、帰る直前まで、滞在を伸ばそうかどうか迷い、
側にいたいという気持ちはもちろんありましたが、
僕も自分の生活がありましたし、父は生きるだろうと信じていたので、
ニュージーランドに帰ることにしたのです。
普段涙を見せることのない父親ですが、
この時ばかりは、泣いていました。
今も忘れられません、、、父のあの姿、、、
(そして、あの時が、生きている父との最後になろうとは)
ニュージーランドについてからも頻繁に連絡を取るようにしてました。
しかし、こちらに戻ってきて3週間後くらいから、
父の様子がおかしくなってきました。
脚にしびれが出始め、
歩くことが難しくなったり、疲れやすくなってずっと寝ていたり、、、
容態は日に日に悪化する一方。
ここで、また帰省を考えなくてはなりませんでした。
ニュージーランドに戻ってきてわずか3週間ちょっと。
職場で上の立場にいたので、また休むということが簡単にはできず。
しかし、僕の中では後悔はしたくないという思いも強かったので、
毎日の実家とのやり取りで父の容体を聞いて、
お医者さんからも帰ってくるように指示があったので、
無理をお願いし、1か月の休みを再びもらい、日本へ戻ることに。
しかしそれを決めた時には、すでに父は歩けず、そして食べれず、
ある程度の覚悟はできていました。
それでも、100%治るっという僕の信念と父の生きるという強い意志は崩れませんでした。
住んでいるところからオークランドへ移動中、
ずっとラインで子供たちと一緒に父へ声援を送り続けました。
「もうすぐ、そっちいくからねー」っと。
「大丈夫よ!帰ってこなくても!心配しないで!」っとそこでも頑固な父。
そして、オークランドの空港からホテルへチェックインして、
ラインで電話を掛けた時には、
すでに父は意識不明になっておりました。
「もう少し、あともう少しで会えるよ」っと神頼み。
あと1日でまた父と会える、、、
ただ、とても距離が遠く感じられる。
とてもとても遠い国。
父の意識が元に戻るように、
子供達と一緒にラインから声援を送り続けました。
夜中になり子供を寝かしてからも、
1時間おきに電話をして声をかけ続け、
翌朝ホテルからオークランド空港に行き、
チェックインをすませ、日本行の国際線へ乗る直前に
もう一度電話を。
電話に出た姉から一言、
「お父さん息引き取ったよ」っと。
皮肉にも、最終搭乗案内のアナウンスが流れていました。
悲しいなんてどころではありませんでした。
ニュージーランドと日本の距離は本当に遠いです。
有難い文明技術の発達のおかげで
一応、ラインを通じて、意識がなくなる前まで父と少しばかり話はできましたが、
正直、父の死に目に側にいれなかったことの辛さはあります。
こういうこともあり得るのだなっと。
移住する前には、想像もしなかったこと。
いずれ親は亡くなってしまうものですが、
こんなに早く逝ってしまうなんて。
これも、移住に付随してくるリスクと責任だなっと。
だから、あなたには是非やって頂きたいこと。
親とたっぷり今ある時間を過ごすこと。
僕の父親は周囲が反対する中、
唯一最初に僕の移住を認めてくれて人でした。
ありがたかったです。
そして、4月に帰省した時に過ごした時間はとても深いものがありました。
たっぷり過ごしました。
僕の誕生日を父の病床でやる特別な日もありました。
父との限られた大切な時間。今でも鮮明に覚えています。
離れて距離は遠くなりましたが、
心はぐっと近くなった父との関係。
できれば体験したくない親との死別ですが、
経験したからこそ、今の成長した自分があるのも確かです。
6月には1年忌のため、また帰国します。
この1年あっという間でしたが、
なぜか父との時間だけは、すっごくゆっくり流れています。
父の死はもう数年前かのようです。
それだけ濃いものを体験させてもらっています。
感謝です。
僕は、移住したことに後悔はありません。
父が応援してくれましたから。
もしかすると父の夢だったのかもしれないなと思ってもしまいます。
あなたも色々と移住で悩むことあるかもしれません。
そして移住することで、僕のようなつらい経験をするかもしれません。
しかし、それは決して悪いものではありません。
そして言えることは、移住はあなたという人間を大きく成長させます。
同僚の継父にここでご冥福をお祈りしたいと思います。
では、明日も
こちら『リアルニュージーランドライフ』にて
お会いしましょう。
僕が本ブログで望むこと、
それは、貴方の想いがカタチとなり、
活き活きとした生活を送って、
貴方らしい幸せな人生を歩むことです。
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